vol.3

 

ハッコーズ テーブル

 

台東区浅草 

 

 

伝える場所を作りたい

 

当社から徒歩3分くらい、花川戸に昨年10月にオープンしました発酵レストラン。
外観はモダンでガラス面が多く開放感のある作り。オシャレでカッコいい。
インタビューを受けてくれたのは「ハッコーズ・テーブル」主宰の石島さん。
スマートで物腰が柔らかく、優しい笑顔の石島さん。

笑いの絶えない会話の中に流行の最先端を走りつつ、日本の伝統食への強い思いをお話してくれました。

――10月の21日にオープンして約3ヶ月経ちましたが、どうですか?

石島
オープン当初から、お近くに住んでいるママさんを中心にいらしていただいております。ご高齢の方もお見えになってくださっています。和食をベースに昔からある発酵食が中心です。いろいろと味をお試しされて、リピートしてくださる方が増えてきていますね。

――リピートされるお客様は多いですか?

石島
そうですね。地元の方々がリピートしてくださっていますね。

――浅草という場所を選んでみて、実際いかがですか。浅草ならではのやり方を模索中だと思うのですが。

石島
もともと地域を選定するうえで僕らは「伝える場所を作りたい」という思いがありました。浅草は「独特の街」ってのは知っていたんですけど、そこでやる意味っていうものが凄くあるんですよね。当然、辛口の人もいるのですが(笑)、そういう辛口の意見をいただくことで、その意見を吸い上げて改善していくことで、この店も成長していくんだなぁって。出店して良かったなぁって思いますね。

――会社の情報を拝見したのですが、群馬に本社、そして大阪にも支店があって、飲食店としての1号店が浅草なんですね。

石島
はい。飲食店を出すのに「新しい提案をできないかな?」とか「マーケティングを兼ねた部署を作りたいね」っていうのがある一方で、僕は独立をして和食のお店を持ちたいっていう気持ちがあって。「じゃあどこで出店するの?」って話になったとき、自分が考えていたことはトレンドっていうか最新のことだったので、地方で出店するっていうのは難しいかなって思っていて。先ずは東京で話題を作るために浅草でお店をやろうと思ったんです。

――浅草以外で候補に挙がったエリアは他にあるのですか?

石島
基本的には東のエリアで、蔵前や浅草橋近辺ですね。

――物件は何件くらい見ましたか?

石島
結構見ました。半年くらいはかかりましたね。最初、3~4ヶ月くらいかな?と思っていたんですけどね。

――物件の最初の印象を教えてください。

石島
はい。印象は…最初は入口が小さく作られていて、中の様子がわからない感じだったので、閉鎖的な造りに見えましたね。

――元々、長く飲食店をされていたんですよ。このあたりでは知られているお店でした。ハッコーズ・キッチンのオープン前に近所の方々が僕に「あそこ、発酵食品のお店ができたみたいよ!」みたいに教えて下さるので「あ、そこ僕が契約しました!」って。結構、自慢げに話をしました(笑)。

石島
そうなんですね(笑)。

――お店が実際に動き始めてからも、思っていた印象とは違ったんじゃないですか?ご近所のお付き合いもしっかりある場所ですから。

石島
最初に、強面のおっちゃんが出てくるんじゃないかな?みたいな印象はありました。町内会も含め、住んでいる方々も含め、はじめは祭りのイメージしかなかったので(笑)。いざ花川戸に入って、各方面へご挨拶に行きましたが、皆さんいろいろ教えてくださいますね。「ウエルカム!」な感じというか、「こういうしていたほうがいいよ!」とか、浅草での歩みかたも教えてくださいますね。凄くギャップがありますね。入る前の印象と、いざ開業して思っていた印象と、ぜんぜん違いました。浅草に入って良かったと思っています。

――もっと「よそ者扱い」されると思っていたのですよね?

石島
そう。もっと難しいと思っていました。新参者とはお付き合いしないっていう印象があったので。当時は浅草エリアっていうのはすごく…避けていたっていうのがあって(笑)。今、入ってみて感じているのは「助けられている」ってうのが大きいですね。

――それは石島さんのお人柄があってですよね。

石島
ひっ、お人柄(笑)。

――柔らかいですもん。とても。

石島
ハハハ(笑)。

ハッコーズ・テーブル主宰の石島さん。
常に笑顔で優しいお人柄。

――ところで、石島さんのご出身はどちらですか?

石島
静岡県の伊東市ってところです。僕は18歳になる前、特殊メイクを勉強したくて学校があるのか探したんですが、無いんですよ。当時、SF映画にCGが導入され始めたときで。じゃあ特殊メイクは後でいいからまわりから攻めていこうと思い、都内のデザイン学校に入ったんです。そして卒業後に特撮の制作会社に入社しました。特殊メイクを学びたい気持ちを温存しつつ。そこでいろんな体験をさせていただきました。食とはまったく関係のないことをやっていましたね。その後に父の病気っていうのもあって、一旦は静岡に帰ったんです。一年置いてから「また東京で何か仕事やりたい」って思って。やるなら手に職を「ものつくり」ってところに、ちょっと考えを置いて食の世界に走ったんですよね。調味料の輸入をしている会社で、レシピ開発とかメニュー撮影とか、お客様に料理を提供する側に立ったんです。横浜中華街に関連会社があり、お店のビジュアルマーチャンダイジング、陳列とかパッケージとか、商品の開発も含めてやるようになったんですよ。そこでもたくさんのことを学ばせてもらいました。多国籍事業を展開していた会社で働いていたんですが、「お店を立ち上げる」って気持ちはずっと持っていたんですよね。たくさんのお店の立ち上げに関わる機会の中で、シースリー・ブレーンという会社にご縁があって、浅草へ出店という流れになりました。

――シースリー・ブレーンはデザインの会社でしたよね?

石島
広告のプロモーションの提案ですね。販促物の制作だったり、家具メーカー、不動産のウェブのページ作り、サイト作り、キャンペーンのプロモーションを提案もします。ハッコーズ・テーブルのオフィシャルサイトも、そのメンバーが作ってくれました。自分のやろうとしている「フォトジェニックな料理を作る」っていうことを、しっかり理解してもらいつつ、ブランドの踏襲もしっかりやってもらいました。

――「発酵モノをやろう!」って言ったのは誰なんですか?

石島
自分です(笑)。元々、アレルギーやアトピーを持っていて。東京に出てきて症状が出て、ステロイドとか薬で押さえる治療をやっていたんですけど、「これじゃだめだ!」って思いました。神奈川の大学の先生との出会いがあって当時、カスピ海ヨーグルトの種を直接もらう機会があったんです。自分で培養してヨーグルトを作るっていうのを続けたんですね。ヨーグルト中心の食生活を8年間しました。遅いのか早いのかわからないんですけど、ある程度、症状の改善できたんです。この8年が自分にとっての「発酵でビジネス展開できないか?」っていう思いの始まりだったんですよね。

――そうでしたか。

石島
あと、親父が寿司職人なんです。鰹節の匂いとか、魚捌くとか、そういう和食の世界を、小さい頃から背中を見て育ってきて。昔だったら普通に歩いていて、鰹節屋さんとかあったんですよね。鰹節食べたりとか、お米屋さんの糠の匂いを嗅いだりとか、それが当たり前の子供時代だったんですけど、今や当たり前だった光景が無いのがとても寂しいですね。

――石島さんの生い立ちと大人になってから経験したことが重なり合って、この店が出来上がったんですね。

石島
そうですね。

――社長はなんておっしゃいました?石島さんが提案されたのでしょう?

石島
はい。会社は会社で考えていた構想があったみたいです。僕は今のトレンド、日本で「こういうのが流行りますよ」とか、流行っている店をアテンドしていました。どうしても「飲食をやりたい」って気持ちが自分の中にあったので、温めてきた案を「どうですか?」って、プレゼンをしたんです。伝える側としてやるならトレンド感のあることで「当たり前のことはしたくない」っていうのがあったんです。お付き合いしている企業の方々に提案するってことも踏まえ、今のトレンドに合う業態を提案することもできるし。

――お店のメニューは誰が決めたんですか?

石島
開業当時のメニューは外部の料理家さん。発酵のスペシャリストの方で、発酵の知識を持っている方にお願いをして、骨格を作ってもらったんです。ベースは僕の方で「こういう料理を作りたい」っていうことはお話させてもらいました。「見た目から楽しんでもらうこと」と、「食べてよし」っていうことをしっかりやりたいと。今の若い人に和食を伝えていくっていう思いもありました。インスタ映えというか、とにかく見栄えを良くしてほしいって。サンプリングを取らせてもらって、こういう具材を使って、こういう見た目を作りたいっていうオーダーをして作ってもらいました。

――メニューが決まるまで、どれくらいの期間がかかりましたか?

石島
うーん、実質の開発していた期間は出しにくいですね。営業するまでの間に3か月かかってますからね。コースから食材の選択、味の試作まで試行錯誤して。場所がなかったのでレンタルオフィスで味の試作をしてました。食材は僕が選んできたんです。「恋する豚」という豚です。ハッコーズ・テーブルと親和性のある豚さんで、これをやりたい、これをどうやって可愛くキレイにやるか。僕らは腸の研究している先生ともお付き合いがあるので、腸内フローラのテーマに絡めた表現をしたいって思っていて。腸内フローラって花畑みたいなものなんですよ、絵にすると。なので花畑にいる豚をイメージしたものを作っていきたいとオーダーしました。

――恋する豚!初めて聞きました。豚もブランディングする時代なんですね。

石島
そうそう。ただ、可愛いだけじゃなくって美味しい…その、主品になっているグルタミン酸やイノシン酸も数値としては高く、科学的にデータもしっかり取れていて。可愛いらしいネーミングもあるし「ブランドを広めさせてほしい」と、直接契約をさせてもらいました。

――お店の棚に並んでいる商品も石島さんが選んできたんですか?

石島
私達で選定してきました。自分が中部エリアの出身なんで、静岡の醤油屋さんとか新潟の醤油と雑貨もの、石川県の醤油関係とお茶関係、お子様にもいいシロップ、米飴を置いたり。ここで伝える意味っていうのも持たせたかったんです。蔵元さんも流通がしっかりしていなく、なかなかお披露目する場所がなくて。どうにか僕のほうも担いたいって思いがあって。余分な原材料が入ってない、昔から作られているものを、僕らが責任もって伝えるっていうことがしたいと思ったんです。


――いいものを広めたいって気持ちが強くあるのですね。

石島
はい、あります。静岡伊東市に帰る度、シャッター通りになったり、お店が無くなったりとか見てきて。「地域に貢献したい」って気持ちが凄くこう…自分の中に出てきて。まだ自分では地方に対しての貢献はできていないんですよ。今後、どうしてもやりたい部分でもあって。ただ料理を提供するってことではなく、自分たちが使っている調味料を始め、自分たちが選んできた商品を置いて、少しでも貢献できないかなって思っているんです。自分自身はまだ一店舗しか開業していないですけど、ゆくゆくは故郷に対しての貢献、その地域の課題になっていることを改善することを手掛けていきたいって思いがあるんです。その思いは強いですね。

 

「地域に貢献したい」って気持ちが凄くこう…自分の中に出てきて

 

――良いものを広めたい、自分の体験を広めたい、故郷に貢献したいという思いあるんですね。石島さんのご家族、奥様はこの店に関してはどのような感じですか。

石島
うーん。発酵自体に興味がないっていうか(笑)。相談はいろいろしました。女性目線の意見を聞きたくて。物を見る判断力は長けていて優れている人なので。料理も家に持ち帰って奥さんと子供に試食してもらって、「美味しい!」とか「んん~?」とか(笑)、いろいろ言ってもらって。そこは僕は素直に受け入れて聞いていて。まだひとりじゃできない部分がありますしね。いざとなったら助けてくれたりしていますね。知らないところで動いて、いろんな人に紹介したりしていてくれたりとかね。

――それは嬉しいですね。発酵モノが体にいいって知っている人だけが来るわけではないじゃないですか。いろんな人に、知らない人にも食べてもらいたいですよね。

石島
そうですね。今の来てくれているお客様も、発酵だから来ているわけじゃなく、お店がここにあるから来てくれていて。食べてから発酵に特化したお店だって知って頂くことも多くて。ただね、そういう発酵が好きだからって人ばかりじゃなくても、発酵の知識がない人でも、そこできっかけが出来たらそれは最高ですね。

――先程、ランチをいただいて驚いたんですが、想像通りの味のものが少ないって言ったらいいんですかね。これはなんだろう?ってなるものが多かったですね。

石島
ハハハ(笑)。海外の発酵モノ食材がそれぞれバラバラであったんですけど、これでひとつのテーマが作れるんじゃない?って、世界の乳酸菌セットが作られて。確かにおっしゃる通りに不思議な感覚だったと思います。ほのかに辛くない、でも辛さがあるキムチ、これはもう商品化するしかないんじゃない?っていう。そこから汎用性のある料理も出てきて。そう、確かに想像をしてた味とは違う、面白い展開だなぁって思っています。

――全体的に裏切られまくってしまいました。とても美味しかったです。どんな味がするか、一緒にいたスタッフとの話に花が咲きました。

石島
そういう言葉が一番素直で、お客様に感じていただける部分で。それが正しいと思うし、そういうお店があると人に紹介してもらえるきっかけになるので、とても嬉しいです(笑)。


ハッコーズ テーブル

 

住所:東京都台東区花川戸2丁目9−10
電話:03-6231-7855

 
 

ハッコーズ テーブル

 

住所:東京都台東区花川戸2丁目9−10
電話:03-6231-7855

 
 

語り手:石島 誉士(株式会社シースリー・ブレーン)
聞き手:岩間 健一(浅草不動産株式会社)
書き手:木村 淳子(浅草不動産株式会社)

取材日:2017.12.20